奄美三線の島唄の音色

今日は、瀬戸内町滞在中にお知り合いになった島唄の先生がわざわざ東京まで来て唄割るということで先生の本番を聞きに行ってきました。

勝手に動き回りまわって暴走しまくる2歳半の息子を連れてTXに乗り、つくばを出て京浜東北線に乗って会場へ行きました。

電車が大好きな息子は、改札ではパスモに興奮、ホームでは電車を指差して「ミテーミテー デンチャー デンチャー」と騒ぎまくり常に大興奮していました。

その姿は、とてもかわいいけど、ホームから落ちるんじゃないか心配でハラハラしました。

10分遅れで会場に着いて受付すると私の到着を待っていた先生が、早速「祝い唄」を歌いだしました。

会場は関東に住んでらっしゃる何百人という瀬戸内町出身の方々が宴を催していらっしゃいました。

日本経済成長当時、金の卵として東京に集団就職された方々がたくさんいらしゃたようです。

もうお酒もご飯も出されていて、懐かし話に花が咲き、会場はざわざわしていました。

息子も到着すぐに私の携帯の写真を指差して「ママ見て」と騒ぎ出し。

はっきり言って全然落ち着かない雰囲気の中、先生の演奏が始まりました。

そしてしきりに話しかける息子、目の前のワイワイした宴会の風景、椅子を勧めてくれるおばさま、などなど非常に目の前でいろんなことがわさわさ起きている中、ほぼ上の空で先生の演奏を聞きました。

しばらくすると、自分の目から涙がポロポロポロポロ出てしまいました。

先生の歌い方が素晴らしいとか、技術が上手いとか、いろいろ細いことを感じるほどよく分析して聴けてなかったと思います。

会場もざわざわしていて、まさに宴会場っていう感じで全然音楽を聴くための環境じゃありませんでした。

でも何故か、何十年ぶりに亡き母親と会ったような、ずっと会ってなかった親戚と会ったようなそんな感じの涙がポロポロポロポロととめどなく流れました。

本当に不思議な体験でした。

私は、長崎出身で三味線も習っていません。

鹿児島の薩摩藩にいじめられた歴史を持つ奄美島の人の心なんて何にも知りません。

でも何故か先生の三線を聞いて、ずっと帰ってなかった故郷に帰ってずっと会っていなかった親類に迎えられたような、そして当たり前のように抱き締められたような気がしました。

ハンカチで目を押さえながら、「なんでこんな泣くの?」と不思議に思いました。

その後、先生の演奏が5分ほどで終わり、私は息子を連れてつくばへトンボ帰りしました。

駅ビル前の歩道橋に群れる鳩に餌をやって喜んだり、地震が来て鳩が木に登ってしまうと鳩に向かって「おいでー!」と大声をあげたり、公衆電話ボックス全てに一つ一つ入って受話器を取って電話をかけるふりをしたり、息子は短時間ですが東京を満喫していました。

遊びたがる息子を引きずってベビーカーに連れ戻して電車に乗りつくばに帰りました。

帰宅後は、その日からくる宿泊客のお世話をしたり。

クタクタで子供と一緒に布団に倒れ込むようにして寝ました。(2歳なのでまだ昼寝をしている)

子供がいるのに、4分の曲を聴くために1時間半かけて電車に乗って行って、次の仕事のためにすぐに帰る、、、もっと余裕を持った子育てをしたほうがいいよなぁと心の中で反省しながらも、音楽に対する探究心と欲に引っ張られ行ってきました。

この経験が、ヒントになって次の自分の音楽作りにつながる日がいつか来るかもしれません。来ないかもしれませんけど。

さすがに、この日は、疲れて「あぁ、、音楽とかダンスを探求していくって麻薬のような、底なし沼のような」感じだな「・・・いつになったら自分の唄や音楽が形になてくるんやろうか」と少し気が遠くなりました。

ママ業と音楽とダンス業の両立、やること多すぎてなかなか思い通りにタイミング通りに前進できないことも多いのです。

しかし息子も音楽もダンスも全部愛しているし、小さい頃から自分の技術で生計を立てるのが夢だったので時々どれかが疎かになったりして失敗して反省したりするけど、なんとか方法を見つけて続けていこうと思います。


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